コロナ禍が深刻な世界になり、既に半年以上が経ちますでしょうか。世界的に感染の第2波、第3波が迫っていますが、こんな時だからこそ、何かを振り返り・始めてみる方も多いのかもしれません。
タナカは、こういった難しい世の中ですら、会社を独立してサラリーマン生活にピリオドを打ち、一人で走り出した先輩の姿がきっかけとなり、このブログを始めました。その人の姿が、この行動のターニングポイントです。
今回、タナカの人生のターニングポイントとなった、筋トレ・ラグビー・石油会社に入ったきっかけ、またその時どういった感情を持ったのかを紹介します。
あるアブダビで働く、一人の日本人サラリーマンの人生をのぞいてみてください。
筋トレに目覚める中学生
あれは13歳の春でした。中学生の思春期真っただ中、友達が持っていたというきっかけで、「北斗の拳」のコミックを読み始めました。一心不乱に読み切った後、自分の中にわいてくる不思議な感情に驚きました。
ラオウのように、命の尽きる最後の日まで自分を貫ける人間になりたい、強くなりたいと。
そうです、ラオウは一子相伝の拳法の伝承者の道をケンシロウに奪われた、敗北者だったにもかかわらず、最後まで自分の正義のために命を懸けてケンシロウに挑み続けた男なのです。
それまでサッカー・野球・水泳をしたりと、みんなでワイワイするのが好きでしたが、北斗の拳を読んだその時から、強くなりたいと願い、父親の家に置いてあった3kgのダンベルで家で黙々と筋トレを始めました。また、自分の決断したことを貫いて生きていこう、と心に誓いました。
そして、中学校の自由研究的なテーマで、1日100回腕立て伏せを1ヶ月続けたらどうなるか?と言ったテーマを勝手に設け、続けてみたりもしました。まるで筋トレYou Tuberのようです(笑)
それまでぽっちゃりだった男の子が、強くなりたい、ラオウのようになりたいと願ったことで人生がそこから変わったのです。偶然にも出会った漫画が、一人の男の子を漢に変えた瞬間でした、大げさですか?
ラグビーを始めた高校生
筋トレを続けた中学時代、当時アテネオリンピックが開催されました。そこで出会ったのが衝撃の柔道金メダル、そうです井上康生選手です。中学生ながらに、自分も同じ舞台に立ってみたい!と思い、高校に入学しました。
そしたらビックリ、その高校の柔道部が入学した年から廃部となり、部活で柔道をすることが出来なくなりました。完全な情報弱者でした。中学3年生の3月に、柔道のルールという本を親に懇願して買ってもらったことを、今でも記憶しています。
そこまで柔道自体にのめり込んでいたわけでもなかったため、これからどうしよう?と高校一年生ながらに考えました。そこで、ラグビー部の初心者勧誘あるある「ボール持ってみ!」「君センスあるよ~」「結構ガタイ良くない?」と言った宣伝文句に乗せられ、グラウンドにむかうのでした。
プラスアルファーで、数名の先輩マネージャー方の眩しい笑顔と優しいお声がけ。思春期アホ男子、そりゃついて行ってしまう気持ちはわかるかと思います、男性限定でしょうが。
その後、先輩方のタックルシーン、激しくぶつかり合う姿、感情むき出しになって声を上げる人の姿を見て、一瞬でここが自分の進むべき道だ!と決意しました。当時から教育一筋の家庭で育ったタナカでしたが、ラグビーの衝動にかられ、その夜親に話しました。ラグビーをやらせてくれ!と。
想定とは違って、勉強をしっかり続けるなら、挑戦してみろとのことでした。そんなこんなで、勉強一本だった中学生が、ラグビーに出会い日本代表を目指して一歩を踏み出したのです。
結果的に、ひたすら部活に打ち込む日々でしたが、ラグビーでは全く芽が出ずに終わったわけですが。
石油会社に出会った大学院生
そんなこんなで大学生になり、何も迷いもなく大学院へと進学しました。大学では電気科に進みましたが、この期間は特に大きな心境の変化等も無く、敷かれたレールの上を歩み続けていました。
そんなとき、兄から「弟よ、兄が就職活動で落とされた会社にインターンシップでも行ってみるか?」と。ひょんなきっかけでしたが、それからインターンシップに応募すると、運よく選考通過。電気の勉強をしていた一人の大学院生が、まるで知らなかった地球を相手にしたダイナミックな世界を知ることとなったのです。
それ以来というもの、大学での研究も手につかず、ひたすら石油の勉強を独学で始めるようになったのです。また、小さいときに見た映画「アルマゲドン」、ブルースウィルス主演の隕石を止めに行く話を見返したりなんかで、気合たっぷりでした。
I don’t Wanna Miss a Thing – Aerosmith You tube より引用
ハングリー精神
言葉にしてしまえば簡単な「ハングリー精神」。しかし、この精神に従って生きるのはなかなか障壁の高いものです。なぜなら、常識や通例として刷り込まれた考え、産まれた場所・環境、親との関係、経済的要因等様々なストッパーがあり、またそのストッパーを言い訳に、簡単な道を選んでしまうからです。
また、ハングリー精神を自分で産み出すことは、さらに一層困難なことかもしれません。タナカは、偶然にも人生の各ポイントで転換期があり、心から湧き上がってくる感情があったのでラッキーでしたが、それでも自分から出逢いに行った、産み出したといったわけではありませんでした。
そのため、自分から思いついて動き出す人たちを見るたびに、自分の不甲斐なさを痛感するばかりでした。
だからこそ、思い立ったが即行動!33歳にして、今まで関わる事の無かった「ブログ」を書きだしたのです。自分から若干興味を持ったことを始めてみて、これが今後の人生の何になるのかか全く分かりませんが、湧き上がった感情を押し殺すのではなく、進んでみる。平凡な人間だからこそ、何かしら発信していこう!という試みです。
皆さんにお付き合いいただけることで、またやる気が出ます。しかし、誰かを啓発したい、俺のアドバイスを聞けばどうなる!といったような押し売りをする気は全くありませんので、ご安心ください。
まとめ
今回、アブダビ観光や生活といったこととは関係のない、タナカの人生の各ターニングポイントを振り返ってみました。改めて自分で振り返ってみると、忘れていないものです。
コロナ禍の中、多くの方が色々なことを振り返り、また将来を考えているかと存じます。そこから一歩を踏み出すのも踏み出さないのも、その人の自由です。そこに絶対の正解は無いでしょう。
ただ、タナカはブログを始めてみたというだけのことですが、今後とも、「元ラガーマンのアブダビ生活のみちしるべ」をよろしくお願いいたします。
コメント